ユメノナカヘ 二話


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765プロ・会議室。
 賑わうビジネス街の喧騒から切り離された、静かな場所。
 私がここに主役級人物として足を踏み入れるのは、いつ以来だったっけ?
「彼」と別れてから、「会議室」と名のつく場所に来るのはほとんど事務員としての
立場ばかりだったような気がする。

 まだ誰も来ていない、ほんとうに静かな場所。
「もう、相変わらずこういうトコはルーズなんですね……」
 小声で呟いてみる。 重厚な会議デスクの天板をかるく人差し指で撫でる。
 冷たい感触。かすかに指先に白いものがついている。

 給湯室から濡らした台拭きを持ってくる私。
 机を拭いている私。
 お茶の数は、議事録の提出は、録音は必要か否か……
 すっかり発想が事務員になってしまっていることを、否応なく思い知らされてしま
う瞬間。

 ふと、部屋の隅のほうに視線がさまよう。

「あ……まだ置いてたんだ、これ」

 会議室の真ん中を堂々と占拠するぴかぴかのデスクやチェアに比べると、みすぼら
しくも思えてしまう古びた椅子。
 765プロがこの建物に移ってくるまで、会議室に置いてあった椅子。
「そのうち使うかな」と廃棄せずにとっておいたまま、会議室の隅で埃をかぶってい
くばかりの、この椅子。
 小さな雑居ビルの2F、なんとか空けたような「会議室」という建前の部屋で、この
椅子に座って、私は「彼」と最初のミーティングに臨んだんだっけ。

 最初だから、新人だから、出鼻に一発かましとかないと、という気負いもあったの
かどうか今となってはよく思い出せないけれど。
 ずいぶんとあの時の私は、「彼」に言いたいことを言っていたような気がする。
 いかにも業界慣れしていない、洗練とかスマートとかの形容詞が似合わないタイプ
の典型にしか思えなかった「彼」が、今や業界きっての敏腕プロデューサー。
 あの時彼に言いたいことを言ってた自分、秋月律子は、今や半ば業界から忘れられ
かけの実質事務員。

 ずいぶん、差、開いちゃったな……。

 その一言が口から漏れかけたとたん、視界が妙に歪む。
 冗談じゃない、こんなことで愚痴は漏らしても目から水なんて漏らせるもんですか。
 ずずっと鼻をならし目元を拭う。

 おかしいのは、わかってる。
 はじめてこの椅子で「彼」を迎えたときの私は、もっと強かったもの。

存在に気づいてしまった、これも何かの縁よね、と呟きながら、台拭きですみっこの
椅子も拭き直す。
 ……座面を拭きなおしただけで、白かった台拭きが真っ黒になっちゃうとは思わなか
ったけれど。 もう、どんだけこの会社の社員ってズボラ揃いなんだろ……。いくら使
わなくなった椅子だからって、捨てないなら捨てないでちゃんと掃除くらいすればいい
のに。要らないっていうのなら捨てるのもスペース効率考えたら必要だし。

 ひとつ椅子を拭き終わり、台拭きを一度洗いに戻る。
 最初に持ち出したときは真っ白だった台拭きを、なんとか薄鼠色には戻せたかな、と
いうあたりで再び会議室へ。

 さぁ、次の椅子でも拭こうかしら、と本来の用事をすっかり忘れかけて次の行動を決
めようとしていたそのとき。
 会議室の、扉が開いた。

「悪い、待たせたな、律子」

 懐かしい、不思議に懐かしい、声。
「彼」との仕事付き合いが切れてから、もう何年も経ってしまったようにすら思ってしま
う、それくらい懐かしい声。

 あの日、あのとき、再会を約束して別れたあの夜から。
 長い間、そう、本当に長い間、待っていた。
「彼」と会えるのを。「彼」と組めるのを。
 もういちど、「彼」との日々が始まるのを。

 ずっと、ずっと、待っていた。
 そこは正直に、認めたい。

 だから、私はせいいっぱいの強がりで、

「もう、遅いですよ、プロデューサー!」

 そう、言うつもりだった。

「ごめんなさーい、おそくなっちゃったの!」

 脳天気な声が響き渡る、その一瞬前までは。

「……で、……新人……そういう……」
「彼」と一緒に会議室にやってきた子。
 もちろん、私は彼女を知っている。 事務員が本業にこれだけ近づいてきていたら、事
務所の所属候補生だって知らないでいられるわけがない。

 星井美希。例によって社長が「ティンと来た!」でスカウトしてきた候補生の子。
 もちろん彼女の書類も一通り目は通している。整った顔立ちに印象的な大きな瞳。高級
品ではないにしても小奇麗な靴に私服と、育ちはそれなりにいいような感じなのだけれど。

 私が彼女の名前を覚えていた理由は、その志望動機記入欄の内容だった。
 動機を問われているのに「やってみようと思いました」。
「必死になるのとかはちょっと苦手だから、あんまそうならないカンジで、うまくいくと
いいな」
 ……話法とか時制とかいろんな文法用語がアタマをぐるぐる駆け回り、「この子は……
ちょっと……」と書類を見ながら思わずつぶやいてしまったのを、私は覚えてる。

 まぁ、志望動機はみんな(私も含め)トンチンカンなことを書いていたような気もする
から、そこは差し引いてもいいんだけれど。

「……律子? 聞いてるか?」
「ぇ、ええ、はい、聞いてます!」
「疲れてるのか?」
「い、いいえ。 大丈夫です」
「それならいいんだが」

 まずい。 私の集中できなくなるパターンだ、これ。
 予想とまるっきり違う事態に突入しちゃうと、どこから手をつけていいのかわからなく
なってしまういつもの失敗パターン。
 落ち着け、落ち着け、私。 あの日、ドームの観客の前でやらかした失敗を、今度は観
客二人の場で繰り返すっていうの? 落ち着け、落ち着け、私。

 予想との違い、それはもうはっきりしてる。 この子、星井美希の存在。
 どう違うか。「彼」は私をプロデュースしに来てくれたと思ってたけど、そうじゃなか
った。
 ううん、それは私の勝手な思い込み。「彼」は私をプロデュースしに来たんじゃなくて、
 ……あれ? 何をしに来たんだっけ? 「彼」は。

 そうだ、そのことを「彼」は今話しているんだ。

 そんな当たり前の結論を導くまでにこれだけ逡巡しているあたり、私も相当ショックだ
ったのだろう、と思う。

「……というわけで、俺の今度の仕事は君たち二人のユニットのプロデュースになったわ
けだ。美希、律子、よろしく頼む」
「はいなの。 ミキ、難しいこと覚えるのニガテだから、そこんとこよろしくなの」
「判った、判った。 ……律子?」
「……はい。 よろしくお願いします」

 口だけが勝手に動く返事。

「んー、律子元気ないの? ミキと一緒で寝不足?」

 そんな私の心中を多分これっぽっちも判ってないだろう美希が、私の顔を覗き込んでく
る。腰まである金髪が光る。

「……そういう、わけじゃ、ないけど」
「そうなの?」
「そうなの」
「ふーん、そうなんだぁ」

 何が判ったのやら、こくこくと頷いている。

「おーい、二人とも、俺を無視すんなー」
 情けない声色でつぶやいている「彼」も居るけれど。

「んじゃ、まずは自己紹介からだな」

 定番のセリフを「彼」が口にする。

「俺が君たちの担当プロデューサー。変態とかセクハラとか言う噂はほとんど事実に反す
 るので信用しないよーに。事実は君たちの目と耳と口とその他もろもろ全身で確かめて
 もらいたい、以上」
「なんだか、本当みたいだね。その言い方だと」
「おーけー、ナイスつっこみだ、美希。 ……律子?」
「……はいはい」

 人の気も知らないで。

「そいじゃ、美希、どうぞ」
「ミキなの。 星井美希、14歳。 おわり」

 さすがに今度は私がコケた。

「ちょ、ちょっと、美希、何かほかに言うことが……」
「んー、でも自己紹介とか紙にも書いたし、めんどーだもの。
 ……あ、ムネ、大きいよ。 Fカップ♪」
「さっきの会話の後でそーいうことほいほい言わないのっ!」
「んー、だめだった?」
「……」

 あ、アタマが……

ミーティングは淡々と進む。
 ユニット名は明日までに候補を考えてくる。
 集合時間に遅れるときは必ず連絡を入れる。
 曲選択と衣装選択は「彼」に腹案があるとのこと。
 その他、その他、淡々と進む。

 私が口を挟まず、美希がうとうとしているので淡々と進むのは当然なのだけれど。
 っていうか、寝てるの、この子?!

「美希、美希」
「……ふぁい、なの……」
「あー、律子、無理に起こすな。 なんだか眠いらしいからな」

 新人の子に怒るのは大人気ないと、どこかでセーブしていた私だけれど。
 さすがに「彼」のその一言には、キレた。

「……冗談もほどほどにしてください! 眠いらしい、でミーティングで寝させるプロデ
 ューサーが居ますかっ?! それも新人の子を?!」

 しかし、「彼」はどこ吹く風で、

「んー、まぁ、ここに居るぞ。 それに、ベテランだったら寝てていいのか?」
「そんなこと、言ってません! 新人の子に悪いクセつけさせて、他の会社の人の前でそ
 れをやらかされたらどーするんですかっ!? その子にも、ウチにも仕事、来なくなっ
 ちゃうじゃないですか!」
「まぁ、そこらへんは判ってるんだよな、俺も」
「だったらっ!!」

 そんな私の大声のせいなのか。
「んー……おはよぉ」と、間の抜けた声で美希が目覚めをご丁寧にも知らせてくれる。

「ま、起きたってことで、続きいくぞ、続き」
「はいなの!」
「……」

 納得いかない。 いろんな意味で、納得いかない。

納得いかないなら、どうするか。
 納得いくようにすればいい。

「プロデューサー! 質問」
「ん、なんだ、律子」

 その日はじめて、私は「彼」の言葉をさえぎって発言したのはもうミーティングも最後
の最後だった。

「私はこんなんだし、美希もこんなんだし。
 プロデューサーはこのユニット、成功すると思ってるんですか?!」
「どうなんだろうね? こればっかりはなんとも言えないさ。
 ただ、全力は尽くすよ。 俺に出来る限りのことは、ね」
「……だったら! 美希!」
「ふぁい?」

 また寝かけてたな。

「あんた今日から特訓開始! まずは対人礼儀作法! つーか寝ない!」
「えぇぇえええぇええーっ?! ミキ寝なかったら死んじゃうよぉ……」
「仕事中は、ね」
「……わかったの、律子」
「それと、呼び捨て禁止」
「へ?」
「とりあえず私がいいって言うまで」
「ええーっ?!」
「だってアンタ、この調子だったら他所の偉い人にも全部このペースで話しそうだもの」
「だって、ミキ、いつもこんな調子だよ? 急に違うことやれっていわれても出来ないの」
「出来るようになるのっ!!!」
「ぅ……怒っちゃやなのぉ、律子」
「さん!」
「……さん」
「……まぁ、まずはそこからね。
 しばらく見ないうちにプロデューサーも頭のネジ外れかけてるみたいだし、もう黙ってら
 んない。明日からビシビシいくから、覚悟しといてよ? 美希、あとプロデューサー?!」

 猛り狂わにゃやってられっか! もーっ!!!

「ぅ、律子……さん、怖い」
「美希、ここは耐え忍べ。律子は大概こんなんだ」
「鬼軍曹の人なの?」
「そうだ、よく判ったな、美希」
「そこっ! 私語禁止ぃっっ!」
「や、やめろ律子、ハリセンはやめるんだぁっ!」
「きゃーなのぉぉっっ!!」

 とんでもない子とデュオを組むことになってしまった私は、
 でも、意外と悪い気はしなかった。
 大声で「彼」を怒鳴り散らして、でも新しい日々に歩みだしている。
「私、なにしてるんだろう」 胸の中の自分の問いに、ひさしぶりに正面向いて答えが言え
る一日を、過ごせたのだから。