風船

俺は、765プロダクション所属の音楽プロデューサー。
 担当アイドルの高槻やよいを伴って、今、新曲の広告活動を重ねている。
 本日の営業場所は、とある郊外型テーマパーク。天候は、薄曇りして暑からずというところ。
 野外ステージの客席は、大量の家族連れでごった返していた。
 無線マイクを手にとって、やよいが会場全体にアピールする。
「じゃあ、みんな、お姉ちゃんと一緒に歌っちゃおう!」
 まず最新のシングル曲、次いでそのカップリング曲を歌う。そして、最後に歌うのは、
 もちろん「おはよう! 朝ごはん」。彼女を代表する一曲である。
 それが終わると、子供相手の風船配り。
 無数のゴム風船にあらかじめサインを入れておき、俺たち裏方がこれを膨らます。
 そして、紐をつけた状態で、やよいが次々に手渡していく。
 その際、空いた右手で、子供にポンとハイタッチ。
 無料イベントとはいえ、前後二回の公演で、お客さんたちと広く触れ合うことができた。

 さて、俺たちがテーマパークを出ようとすると、辺りをきょろきょろ見回している小僧がいた。
 年のころはおよそ五歳。下に妹一人、弟三人を抱えるやよいだが、
 その末の弟と同じくらいの子供である。
「グスン……グスン……」
 涙目になって、一体何を捜しているのか――やよいは、彼に訊いてみた。
「そこの君、どうして泣いてるの?」「風船が……風船が……」
 小僧の手には、風船がない。持って歩いているうちに、紐から指を滑らせたのであろう。

「お姉ちゃんの歌、聴いてくれてたんだね……君、名前は?」「ゆうた」
「ゆうた君か……」やよいは、彼をなだめて言う。
「風船なんてもうないよ。飛んでったのは、お姉ちゃんの責任じゃないからね」
「そんなのやだあ! 風船、もう一つちょうだい!」
(おいおい、無理言うんじゃないよ……)
 小僧に駄々をこねられて、閉園時間も迫ってくる。
 そのうちに、彼の母までこちらに気づいた。
「あなた、マネジャーさんですね?」
「いえいえ、音楽プロデューサーです」
「似たようなもんじゃないですか! やよいちゃんを世話してるんでしょ?」
「実はそうなんで……いわばマネジャー兼任ですよ」
「だったら、ゆうたにもう一つ、あの風船を贈ってやって」
「いけません、いけません。風船は、もう種切れになりました」
「そこを何とかお願いします。実は、ゆうたは今日から五歳で、風船が消えていくまでは
 『わーい、お姉ちゃんからのプレゼントだ!』と、大はしゃぎしていたんですよ」
 つまり、元気に走っているうちに、かけがえのない誕生祝いを中天高く飛ばしたわけか。
「どうする、やよい?」「うっうー……何か、いい方法は……」
 やよいは暫くうなっていたが、突然何を思ったか、近くの売店へ駆け込む。
 そして、戻ってきた時には、ある細長い物体を手にしていた。
「ゆうた君、ゆうた君!」
「ねえ、お姉ちゃん、風船は?」「ほら、これだよ!」
 彼女は、持った物体に、息を少しずつ吹き込んでいく。それは、まもなく球形となった。
「これ、違う……さっきもらったやつじゃない……」
「何言ってるの、ゆうた君? 紐を手放しちゃうからいけないんだよ」
 まだ泣いている小僧を前に、やよいは件の物体の一角を指し示した。

「ほら、ここをみて!」
 彼女が手にした物体は、赤・黄・緑の三色に塗り分けられた紙風船であったが、
 そのうちの黄色の部分に独特の文字が入っている。
「これ、お姉ちゃんの名前だよ。『たかつき・やよい』と読むんだよ」
「じゃあ、この風船……お姉ちゃんがくれるんだね」
「もちろん! それに、この風船なら、お月さんまで飛んでっちゃうこともないでしょ」
 やよいは、持った物体を、両手でちょいと小僧にトス。
「ゆうた君、大事にしてね」「わーい、お姉ちゃんからのプレゼントだ!」
 彼は、新しい風船を、ポンポン上げて遊んでいる。
「あっ、帰る前に……お姉ちゃんと手を合わせようか?」
 やよいは、小僧を呼び止めると、右手を挙げて身を屈めた。
「じゃあ、ゆうた君……ハイ、ターッチ!」
 右手をポンと合わせてから、彼は母と去っていく。無論、左手には風船。

「やよい、もうすぐ閉園だ。こっちも早く……おや?」
 俺は、やよいの首にかかっている緑のポーチを飛び出した、黒い角のようなものに気づいた。
「やよい、こいつはペンの蓋か?」「そうですよ」
「でも、あのペンはインク切れだぞ」
「違いますよ。さっき、あそこの売店で、紙風船と一緒に買ってきたんです」
「紙風船!? ゆうた君にプレゼントしたやつか?」
「はい! この新しいペンで、サインを入れてあげました」
「そうか、自分で手配したか……さすがは子供の味方だな」
 普段から年下と触れ合っているだけに、彼女の子供の扱いはとてもうまい。
「でも、やよい、よく金を持ち合わせてたな」
「バカにしないでくださいよ! もらったギャラは、ある程度、自分の手元に置いてます」
 実家を富ますことを第一に考えているやよいだが、
 それでも、自分の小遣いはちゃっかり確保しているのか。
「とにかく、閉園時間だから、このまま寮まで送ってやろう」
「ありがとうございます! ハイ、ターッチ!」
 右手をポンと合わせてから、二人仲良く腕を組み、テーマパークを後にする。
 そしてまもなく、木戸口に鍵がかかった。

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最終更新:2011年08月10日 23:18