風船のお家


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 日の傾き始めたテーマパーク。オレンジ色に染まり始めた空の下、金髪をなびかせる美希の隣で俺は手元の
メモ帳で訪れた客の数を確認していた。数は上々。テーマパークのステージの上で行われた美希のライブイベ
ントには多くの人が訪れ、ライブ後のサイン会にも長い列ができていた。まだメジャーアイドルとまではいか
ずとも、今日のイベントで美希の知名度も上がってくれたことだろう。
「疲れたか、美希?」
「うん、もうヘトヘト……早くおウチに帰ってゆっくり寝たいの……あふぅ」
「ははっ、頑張ってたもんな、今日は」
 のんべんだらりとしていることの多い美希だが、今日は客の目が多かったこともあって、気を抜かずに頑張
っていてくれた。今日の客層に、自分よりも幼い子どもが多かったせいもあったのかもしれない。
「……ん?」
「あっ……」
 俺の耳が子どもの泣き声を拾ったことに気がついた瞬間、美希が前方を指差した。その方向には、紫色のト
レーナーを着た小さな男の子と、しゃがみこんで彼をなだめる母親の姿があった。天を仰いで泣きじゃくる子
どもの視線の先を追ってみると、上空に向かってふわりふわりと昇っていく緑色が見えた。
「風船が……」
「あの子、さっき、ミキの所に来てた……ねぇ、行こっ」
 遠めに見える少年に見覚えがあると思った途端に、美希がスーツの袖元を引っ張って俺を促した。あの子が
風船を無くしたらしいことは分かるが、イベントで風船はもう全て使い切ってしまっていたはずだ。
 代わりに風船を渡してあげることは、できるか分からないぞ。
 そのことを伝える間も無く、美希が大股で子どもの下へ歩み寄っていく。
「大丈夫?」
 美希が子どもの目の前でしゃがみこんだ。
「……ふうせん……ぼくの……」
 子どもの細い指が、茜色の天を指した。
「プロデューサーさん」
 美希が視線で訴えかけてくるが、俺には首を横に振る他無い。
「イベントが思った以上に盛況だったからな……。遊園地のスタッフが持っていれば、あるいは……だが」
 思い当たる節を頭の中で探るが、日の落ち始めたこの時間帯では、余り物も望み薄だ。
「すみません、先程この子がイベントで風船を貰っていたのですが……」
「うん、分かるよ。ミキがサインして、緑色の風船あげたの覚えてるから」
「あっ……そ、そういえば……わざわざ声をかけて頂いて申し訳ありません」
 ミキの姿を目に留めて、母親がお辞儀をした。美希に気がついたのは男の子も同じなのだろうか、彼の泣き
声がふっと止んだ。
「いえ、こちらこそ、足を運んでいただいてありがとうございます」
「すみません、この子ったら、さっきもらった風船を失くした途端に……」
「ふえ……」
 俺と美希と母親。三人の視線が互いの間に集中した時、泣き止んだと思った子どもがすぐにまたべそをかき
はじめた。座り込んだ美希が、困った表情で俺を見上げた。
「プロデューサーさん、どうしたら──あっ」
 翡翠色の瞳の奥が一閃したように見えた。何か思いついたらしい美希が、男の子の方へ視線を戻す。
「ミキのステージ、見にきてくれたよね。覚えてる?」
「うん、お姉ちゃんのお歌、聞いてたよ」
「あはっ、ありがとうなの。ねぇ、フーセン、失くしちゃったんだね」
 美希が優しく語りかける。
「うん……お姉ちゃんのフーセン、おウチに持って帰りたかったのに」
「そっか。……でもね、あの風船も、お家に帰りたかったのかもしれないよ」
「えっ? フーセンも、おウチに帰るの?」
「うん、そうだよ」
 突拍子の無い美希の言葉に、俺も母親も、息を呑んで成り行きを見守っていた。
「フーセンって、上に飛んで行くよね?」
 男の子は静かにうなずく。

「風船のお家は空の上にあって、お仕事が終わったら、小さくなったり、飛んでいったりして、そこに帰って
いくんだよ」
 美希が空を指差すと、俯いていた男の子の顔がくるりと上を向いた。
「おウチに、かえる……」
 男の子は、しばらく夕焼け空を見つめていた。よく目を凝らしてみれば、まだ風船の姿は僅かな点となって
視界の中に捉えられる。
「風船を早くおウチに帰らせてあげたボクはとってもいいことをしたって、ミキは思うな」
 美希の手が伸びて、男の子の頭を撫でた。その手つきにいつもの無遠慮さや奔放さは無く、包み込むような
慈愛すらほんのりと感じられる。
 しばらく目をぱちくりさせてから、男の子はうんと頷いて、
「……ばいばい」
 と、空に向かって手を振った。その頬が涙で濡れることは、もう無かった。
「もう、フーセンがお家に帰っちゃっても、泣かない?」
「うん、へいき」
「じゃあ、ミキからプレゼントあげるね。左手、出して」
 男の子が左手を差し出すと、美希はおもむろに、左手首につけていた茶革のブレスレットを外して、男の子
の手首につけてあげた。美希の細い手首よりも更に細い男の子の手首には、そのブレスレットが大きすぎたの
は明らかだったが、暗く沈んでいた男の子の表情には、笑顔がパッと舞い戻ってきた。
「ありがとう! ……ねぇママ、ボク達も、帰ろ」
「あらっ。もう、この子ったら、泣き止んだと思ったら……」
 母親が苦笑いを浮かべつつ溜め息を漏らしたが、少し皺の寄った目元には、安堵の色があった。


「美希、凄かったな。あんな風に子どもを宥めるなんて、大人にだってそうそうできることじゃないぞ」
 安らかな笑みと共にテーマパークを後にする親子を見送った後、美希は胸元のネックレスに視線を落とした。
「プロデューサーさんには、話してなかったよね」
「何をだ?」
「ミキも昔ね、パパとママとお姉ちゃんと一緒に遊園地に来て、風船を失くして泣いちゃってたことがあった
の。パパとママは『失くしたものはしょうがない』って言うばっかりだし、お姉ちゃんは黙ったまんまだった」
 左手が、ネックレスをギュッと握り締めた。
「その時ね、一人の女の人が来て、さっきミキが言ったようなことを教えてくれて、このネックレスをくれた
の。顔も名前もよく覚えてないけど、その人もミキっていう名前だったんだよ、きっと」
 アルファベットで、MIKI。シルバーのネックレスは、元々美希の物では無かったらしい。
「お姉さんの言ったことが実はホントのことじゃなかったって、理科の授業の時に分かっちゃったんだけど、
でも、ミキの中では、今でも風船のお家が空の向こうにあるの」
「ふふっ……そうか。ロマンチックだな」
 思わず笑みが漏れる。今まで知らなかった美希の過去、そのパーソナリティの一部を、また一つ知ることが
できた嬉しさと、純真な感性に対する微笑ましさが、俺の心を温かくさせた。
 そうだ。大人びた容姿だの、歳の割に濃く漂う色気だので、プロデューサーである俺ですら時々忘れてしま
いがちだが、美希だってまだまだ「子ども」と言われるのが当たり前の年齢なのだ。
「ねぇ、プロデューサーさん。ミキ、なんだかクレープが食べたくなっちゃったな」
 そう言われてみてふと見渡してみると、木の枝の陰から突き出すようにしてクレープ屋の看板が突き出てい
た。この時間帯を考えると、もうすぐあそこも店じまいだろう。
「ああ、いいよ。何でも好きなものを買っておいで」
 財布から千円札を一枚取り出して、美希に手渡す。
「うんっ! じゃあ、プロデューサーさんの分も持ってくるね!」
「おいおい、俺の分は──」
 俺の分はいいよ。スーツ姿の男がクレープを食べるなんて、可笑しいだろ。
 そう言おうと思ったが、美希は足早にタッタッとクレープ屋の方へ駆けて行ってしまっていた。
「……全く、仕方ないな」
 腰掛けられそうな所を探して、ベンチに座る。
 暗さを増してきた空には、もう風船はいなかった。
 きっと今頃は、『彼』も家に帰ってのんびりしているのだろう。

 終わり