Happy holiday with you!


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765プロ所属のアイドルが大きなイベントを行った次の日には、彼女たちはフリーになるのが通例である。
昨晩のイベントで疲れ果てた雪歩も多聞にもれず、日曜日で学校もない、完全な休日を嗜んでいる。
間違えてセットしたらしい目覚まし時計が優雅な休日の朝を騒々しく掻き乱して下さったおかげで、それはもう朝早くに目が覚めた。
身支度を整えてリビングへ向かえば朝食が用意されていて、なぜか父親が作ってくれたというフレンチトーストをもさもさと消化していく。美味。
一区切り付いたあと、どうしようかと考えた末にお茶を淹れようと思い立ったので、淹れる。飲む。美味。
「・・・」
さて、暇である。それはもう、そこはかとなく暇である。
そうだ、自主練習をしよう、と父親が建ててくれた防音室へ向かう。向かおうとして椅子から腰を上げたところで、昨晩の事を思い出した。

―――明日は、しっかりと休むんだぞ。

そんな、彼女のプロデューサー氏から発せられた一言。
はっと息を呑んだ。ごくりと喉を鳴らした。リビングに置かれた椅子へと導かれるように腰を降ろしたところで、彼女の戦いが始まった。
始まったは良いが、かといってすることがない。
詩集を綴ろうかと思ったけれど、あまり気が乗らない。というか、あれで一日を過ごすのは勿体ない。折角の休日なのだから。
お茶でも淹れようか。いや、それは今さっきしたところだ。
自身の少なすぎる趣味にぅぅと鳴き、テーブルに額を押し付けて悩む。ぐりぐりと。
悩みに悩み抜いた末に友達を誘って遊びにいこうかなぁという結論に達したので、3人にメールをする。
10分後には全て返信されたそれらは、ごめん今日はちょっとといった内容だった。
「・・・ぅ」
終わった。彼女はそう確信した。今日はきっと、そういう日なのだろう。
酷いですプロデューサー、なんて訳のわからない非難を彼に浴びせつつ、再び額をテーブルへと移す。
あ、と何かひらめいたように伏せた顔をあげ、でもそれはちょっと、とやっぱり伏せる。
テーブルに頬を載せながら、携帯電話の決して登録数の多くないアドレス帳からハ行を選択していく。メールの作成画面を開いて、ボタンをプッシュ。
『今どこにいますか?』
そこまで書いて、送信のボタンを押そうか押すまいかのところで迷いに迷った。あーだのこーだの迷いながら、右頬と額と左頬はテーブル上を行き来する。
うーうー唸りながら奇行を繰り広げる娘を見つけた父親は、一瞬だけ声をかけるか迷った後、その行為を生暖かく見守っていた。
親は子の有りのままを受け入れるべきであると、彼女の活動を通して学んだのである。その行動に割と涙が出そうではあったが、そこは男萩原、耐え忍ぶ。

そんなこんなで、雪歩がええい、送っちゃえ!なんて思えたのは10文字程度の文章を打ち込んでから15分が経ってからのこと。
彼からの返信を受け、彼の好きだと言っていたお茶を水筒に汲み入れて玄関から飛び出したのは、それから更に5分が経ってからのこと。
そして彼女の父親が娘の奇行と突発的な行動に驚愕し、呆然と突っ立っているだけの状態から解放されたのは、加えて10分後のことだった。

765プロ所属のアイドルが大きなイベントを行った次の日には、彼女たちはフリーになるのが通例である。
しかしその担当プロデューサーもそうかと言われれば答えは否であり、むしろ地獄が待っている。領収書の束。報告書の山。
世間は休日で、いつも混雑する幹線道路はガラガラ。彼の愛車は、平日であれば45分以上足止めされる幹線道路を15分で駆け抜けた。おそらく、歴代最速ラップ。
まあそんなわけで、彼が事務所に到着したのは日曜日の朝8時。誰も居ない事務所は、ひどく閑散としていた。
割り当てられているデスクへ腰を降ろし、デスクトップパソコンの電源を入れる。A4サイズの書類を封筒から取り出し、整理する。伸びをする。眠い。
一息つこうとコーヒーメーカーへと歩み寄り、黒の液体を作り出す。
何気なく視線を送ったホワイトボード。そこに記された社員や所属アイドルたちの行動予定表を見たところで気が付いた。
今日の出勤予定者は、彼一人だった。

弾かれたように振り返って、事務所を見渡す。うっわー、と響いた声が自分の発したものだと気付くのに、いくらかの時間が必要だった。
「マジかよ」
マジだった。
事務所には話し相手など誰も居らず、ただただ静まり返った室内に日光が刺し込んでいる。
先ほど電源を付けた彼の愛機はブーンと低い音でアイドリング中で、コーヒーメーカーは4人分くらいのコーヒーを無駄に吐き出している。

彼は別に、ひとりの事務所で仕事をするのには慣れていた。というか、残業で日を跨げば大体そんな環境になる。
しかし今は朝一で、更に言えば羽鳥アナがズームインを連呼する曜日でもない。
それはもうピーカンな陽気で溢れかえる世間はがっつりお休みで、よくよく考えれば俗に言う行楽日和だ。
彼の見る光景は家族連れがひしめく公園や、カップルでにぎわう繁華街ではない。見慣れた事務所のそれである。ただし、無人。
その光景に、はっと息を呑んだ。ごくりと喉を鳴らした。割り当てられているデスクのオフィスチェアーへと腰を降ろし、彼の戦いが始まった。
とりあえず、さっさと終わらせて家に帰ろうと意気込み、ソフトを立ち上げる。今日の戦友は、リポD(ゴールド)だ。
誰も居ないのを良いことにイヤフォンを装着し、お気に入りの楽曲を流しておく。シャッフルされ、一番最初に流れた曲は雪歩のもの。デビュー曲。
1サビまで聴き込み、良し、と反動を付けて画面へ向かったところで、携帯が音を立てた。メールの受信音。雪歩からだ。
なんだかタイミング良いなぁなんて思いつつ、内容を確認して『事務所にいるよ』と返す。
そして今度こそ画面に向かい、報告書をまとめていく。まあ昼過ぎには終わるだろうと言い聞かせながら、戦友を一気に呷る。
誰も居ない空間を意識しないように、ただただ作業に没頭した。



飛び乗った電車は、内回り電車。いつもよりずっと空いていて、一番隅に座れた雪歩は少しだけ喜んでいた。
たった5駅の距離だとしても、満員電車に揺られるのとどちらが良いかと問われれば当然こちらの方が大変よろしく、今日が日曜日だということを実感する。

でも、今日も今日とてプロデューサーはお仕事みたいだ。
あの人には、少しだけでもいいから休むって選択肢を持ってほしいなぁ。

そんな事を考えながら、電車に揺られる。
しかしながら彼のそんな努力はすべて彼女に向けられていて、彼が自分のことを一番に考えてくれている事実はとんでもなく幸せなもので、自然と顔がにやけていた。
でも、やっぱり無理はし過ぎてほしくないなぁなんて思った。
でも、今日会えるのはそのおかげだしなぁなんて思った。
取り留めもないことを考えながら、彼女は寝息を立て始めた。
彼女の乗る電車は、環状線だった。一周あたり50分程度のそれを、彼女は3周することになる。

ぱちぱちとキーボードを叩く軽快な音が事務所に響き、しかしその本人の顔は穏やかとはお世辞にも言えず、彼の傍らには3人の戦友達が力尽きている。
終わらん。それが久しぶりに現実への帰還を果たして最初に考えたことで、壁に掛けられた時計は短針が12を指しかけている。
気付けばイヤフォンからの音は消え失せていて、都合のいいことに腹がぐぅと鳴る。
昼食にしようと考えて、ああ、朝コンビニ寄ってくるの忘れたと今更ながらに気が付いた。
行くか、と席を立ち、誰も居ない事務所に施錠し、徒歩10分圏内にあるコンビニを目指す。鮭のお握りが、彼を呼んでいる。
事務所を出てすぐ左へと進路を変えた彼は、向かって右側からはぁはぁと息を切らして走ってくる白のワンピース姿に気付く訳がなかった。



ふと目が覚めて、あれぇ?とか抜かしながら腕時計を確かめると、11時半を余裕ぶっこいて回っていた。
電車に飛び乗ったのが9時で、それからもう2時間半も経ったんだぁ一体何があったのかなぁえへへとかなんとか思案した後、大いに混乱した。
それはもう寝過ごすなんて生易しいものではなく、言ってみれば仮眠である。
ただ唯一の救いは次の駅が目的地だったことで、電車のドアが開いた途端彼女は走り出した。目立ちに目立つが、そんなことは気にしていられない。

はぁはぁと息を切らして走る白のワンピース姿が呪うのは、兎にも角にも自分の愚かさだ。
今ならスペースシャトルで宇宙に飛び立ち、地球の危機を救うために隕石へ立ち向かえる。
ブルースウィリスも真っ青な掘削技術で、エアロスミスはミス・ア・シングを大熱唱。素晴らしきかな、大団円。
混乱に混乱を重ね合わせてミルフィーユ作っちゃってる雪歩に見慣れた彼の後ろ姿を認識できるだけの余裕は無く、事務所へ続く階段へ足をかけた。ドアノブを捻る。
もちろん事務所の鍵は施錠されており、しかしその理由を雪歩が知る筈もなく、頭の中のミルフィーユは脆くも崩れ去り、ただただ冷静な思考が彼女を襲う。
事務所が閉まってるのは、どうして?
―――私が馬鹿なことしてるから、プロデューサーは帰っちゃったんだよ。

息は上がってしまっている。ぺたりと座りこんで、事務所の玄関を閉ざす扉を眺めた。
勿論そうしたところで事態は変わらない。冷静な思考が、帰ろう帰ろうと彼女を急かしている。

その冷静な思考で駐車場を見やる余裕があったなら、そこに彼の車があることに気付くことができた。
彼の携帯にメールをすれば、事務所の中におきっぱなしの携帯電話が騒ぎ立てた。
だとしても今の彼女にそんな余裕があるはずもなく、ただただ事務所の前で座り込んでいるだけ。上がっていた息も、落ち着いてきた。
―――帰ろう。
彼女がそう決断したのはたっぷり10分後のことで、そのころの彼はコンビニで鮭と、もう一品はツナか明太子かの選択に追われていて。
そんな間抜けなすれ違いが折角の休日をこれでもかというくらいに打ち壊して、駅へと向かう途中に見かける家族連れやカップルが、凄く眩しいものに見えた。
彼女はもう一度環状線に乗り込み、しかし乗るのは行きにも使った内回り。
なんだか今日は、このまま帰るのはつまらないなぁなんて沈んだ顔で考えつつ、再び約1時間の長い旅路へと電車が動き出した。

彼が事務所に戻ったのは丁度雪歩の内回り電車が駅を発った頃で、別段変り無い玄関前の光景に何の違和感も抱かず鍵を開けた。
眠気からか、一旦デスクチェアへと身体を預ける。キシリと音を立てて、彼の体重を支えた。しばし呆ける。数分後に自我を取り戻した。
コーヒーメーカーでコーヒーを淹れようとして、でもお握りにコーヒーはなぁ、なんて考える。おにぎりなら、雪歩の出してくれるお茶のが合うよなぁ。
そこまで考えて、あれ、何か忘れてるぞと記憶を掘り返していく。ああ、そういえば朝一で雪歩がメールくれてたっけ。
少しだけ気になって、彼は携帯電話を手に取った。パチリと軽い音。もちろん、その後の連絡などない。

ん?と首を傾げて、『どうしたの?』と送信する。
ふぅ、と息をついて、何だったんだろうなぁとか考えつつ、鮭お握りのフィルムを剥がそうとしたところで携帯電話が音を立てた。
返信早いなぁとなんとなく感心し、文面を開いた。あれ?このメール。
少しだけ疑問に思いつつ、とりあえず、そのままの事を伝えることにする。
では今度こそ、と鮭お握りのフィルムを剥がそうとして閃いた。ああ、この文面は良いぞ、忘れないうちに報告書に書き込んでおこう。
彼はすぐにパソコンへ向かい、買ってきた鮭と明太子のお握りには手を付けず、そして彼女のメールの返信がないことにも気付かなかった。



ぐぅ、とおなかが鳴った。大変な空腹感だった。
結構走ったもんなぁ、雪歩はそう結論付ける。
がたんごとんと電車が揺れて、何しているんだろうわたしという思いが一層強くなっていく。
携帯電話を開いて、今日のメールのやりとりを確かめた。
『事務所にいるよ』という彼からの返信は9時前のもので、あんなばかな事をしなければと深く深く落ち込んでしまう。
彼からの新しいメールを受信したのは丁度その時で、彼女は文面を確認した途端、素早くメールの文面を打ち込んでいく。
なんだか、いつか見たようなメールが完成した。
しかしそんなことはどうでもよく、直ちに送信。次に受信したメールもなんだかいつか見たようなもので、違うのは受信時刻だけ。
次の瞬間彼女は勢いよく席を立ち、開いていたドアからホームへと飛び出して、外回りの電車を今か今かと待ち望んだ。

少し前に閃いた文面のおかげで報告書もようやく完成の兆しが見え、伸びをすると体中からぽきぽきと音が響いた。
腹がぐぅと鳴り、ああそうだ飯だと立ち上がる。
コーヒーメーカーの前に置きっぱなしにしておいたコンビニのお握りを持ってこようと歩みを進めていると、事務所の扉が音を立てて開いた。結構な勢いだった。
驚き、なんだなんだと思って体を向けると、白のワンピース姿がそこに居た。見知りに見知った少女。
「あれ、雪歩じゃないか。どうしたの」
雪歩はそう言って首を傾げる彼を呆然と見つめた後、すぐに目尻に涙を溜めていく。うわぁんとか、そういった類の泣き声を発しながら彼の胸へと飛び込んだ。
彼は彼で何が何だかわからず狼狽し、暴れようとする自分の感情を抑えるのに相当の苦労を要していた。



「あー、その時間は多分、コンビニに昼食買いに行ってたね」
「うう・・・ひどいです。だったらちゃんと伝えておいてください・・・」
雪歩が気付いたころにはプロデューサー氏の胸で泣いていて、抱擁されている事実にあたふたしてから10分くらいが経つ。
ようやく彼女の胸の高鳴りは収束へと向かい始めている。
雪歩は彼が所望したお茶を汲み、その最中に今日のすれ違いの一部始終を把握して、大きな溜め息を吐いた。
そんな折の無茶苦茶な反論にごめんごめんと笑いながら答えた彼は、鮭のお握りのフィルムを剥こうとする。剥こうとして、訊ねる。
「雪歩、お腹すいてない?」
「たくさん走って歩いちゃったんで、すいちゃいましたよぅ」
彼の、そうか、という一言。鮭お握りのフィルムを剥き、差し出す。
「なら、一緒に食べよう」
はい、と雪歩の右手に鮭お握りを載せ、彼は代わりに明太子お握りのフィルムへ手を掛けた。
これ、プロデューサーのご飯ですなんて雪歩がうろたえて、プロデューサー氏はお詫びだ、なんて返しながら明太子お握りを頬張る。
彼の好物はこのコンビニの鮭お握りの筈で、ならばどうして明太子を食べているのかと言えば、雪歩は辛いものがあまり得意じゃないからだ。
      • むぅ。
この人はずるい。本当にずるい。雪歩はそう思う。
彼の気遣いに感謝して、一口頬張る。今日のてんやわんやの元凶君達のうちのひとりは、とても美味しかった。