あなたと、ずっと、一緒に


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

少し寒いな、なんて思いながら息を吐いた。吐いた息は白くて、目の前が少しだけ霧がかる。
渡されたアルミ缶、温かいミルクティ。最初は熱いくらいだったけれど、もう私を温めてくれている。
ペコ、と軽い音。きっと無意識。手に力が入っていた。振り返って、見上げる。
数字。見慣れた数列。小さな事務所。私を育ててくれた場所。
もっと、もっと出来る。もっと頑張れる。もっとやれる。もっと居れる。もっと話せる。もっと歌える。もっと、もっと、もっと。
でもそれは全部私の我がままで、きっと規則は変えられなくて、きっとあの人も望まなくて。
だから私は背を向けて、温かかったミルクティも少しずつ冷めてきていて、でも私の体は温かくて。
だから私は、駅を目指した。

滑り込んできた電車は、乗り慣れた銀色。赤のライン。乗り込んで、空いていた席へと腰掛ける。
いつも繰り返してきたルーチンが、なんだかとても貴重なものだと感じる。思わず外の景色を眺めた。
奇麗な夕焼けが眩しくて、それでも目は逸らさない。刻みつけようと思った。
電車が鉄橋に差し掛かって、少しだけ川の水面が見て取れた。きらきら夕日に輝いて、けれどそれも、夜になれば無くしてしまう。
きっと、こんなにきらきら輝いている毎日も、夜が来れば終わってしまう。
そんな夜が、来なければ良いのに。

聞き慣れた駅名を告げたアナウンスに立ち上がり、改札は定期券。あと何回使うんだろう。
駅前の風景は今も昔も変わらないのに、なのにどうして、こんなにも違うんだろう。
家までの距離はそんなに無くて、けれど陽が沈むのはもっと早い。夜が怖くて、走り出した。逃げたかったのは、何からだろう。




「雪歩君のお別れコンサートの計画書、読んだよ」
タイムカードを切ってすぐ、高木社長に呼び止められた。
彼の表情は何となく複雑そうで、何か問題があったのだろうかと考える。特に思い当たる節は無い。
「あの、何か問題がありましたか?」
「いや、問題無い。それよりも」
彼が目を伏せる。何か言い辛そうにする仕草に、見当が付いた。
「1年のタイムリミットを設けた私が言うのも可笑しな話だが、雪歩君からこの仕事を奪って良いのだろうかと、そう思えてならない」
君ならわかるだろう、と同意を求められる。
「1年前のあの子は、もっと小心者だった筈だ。この1年、彼女の成長を支えたのは確実にこの仕事と君の力だろう」
「恐縮です」
「そんな子から仕事と君を奪ってしまうのが心苦しくてな、すまない」
言い訳がましいな、と言う彼の自嘲染みた笑みを見ながら、雪歩との1年間を思い返す。
思い返して、ひとつの結論に至った。
「大丈夫ですよ」
あの子は大丈夫だ。
「あの子は、確かに変わることが出来たのですから」

部屋のベッドに腰掛けて、詩集を綴る。綴ろうとしていた。いつもははかどるそれも、今日は上手くいかない。
昔、似たようなことがあったと思う。いつだっただろう。こんな風に、詩集を綴れなかった日。
そうだ、雨が降っていた。
プロデューサーが太陽みたいだなんて思ったあの日。あの日も、こんな感じだった。
ベッドの上、身をよじって窓を見上げる。沢山の星、大きな月。
でもそこには太陽は無くて、暗い暗い夜空。
嫌いだ。あの人の居ない夜なんて。あの人の居ない毎日なんて。
気が付けば、携帯電話を握り締めていた。
液晶パネルに、彼の電話番号。躊躇いなんて無かった。コール音、3回、4回。
お願いです、出てください。私をひとりにしないで下さい。
『もしもし?』
祈るような気持ちに、彼の声が答えてくれる。



家に着いてすぐ、携帯電話が鳴り始めた。
こんな時間に誰だろうと考えて、それでも答えは出なかった。
どこに仕舞ったっけ、ジャケットのポケットを漁った所で、目当てのものを見つける。
軽い音を立てて開いた携帯電話は、相手の名前を騒々しく提示していた。
雪歩。
電話を掛けてくるのは珍しい相手の名前に、少し驚く。驚いて、電話を取る。
「もしもし?」
『・・・』
無言。代わりに、息を吐く音。
「もしもし?雪歩、どうした」
『・・・プロデューサー』
聞こえた雪歩の声は小さくて、注意しないと聞き取れない。
そんな声が震えているようにも聞こえるのは、気のせいだろうか。小さくて、聞き取りきれない。
『・・・私、もっとやれます』
その言葉に押し黙り、それでも雪歩は話を進める。
『・・・もっと頑張れます。もっと歌えます』
「・・・」
『もっと出来ます。もっと話せます。もっともっと、頑張りますから』
「ああ」
『だから、プロデューサー・・・』
だから?

控え室はとても広くて、けれど居るのは私だけ。
鏡の先に居る私を捉える。それはきっと本当の私で、本物の私。
1年前、あの頃の私は、もう居ないんだろう。それは望んでいたことだから、だから私はここに居る。
意識して呼吸を整えようとして、目を閉じる。いくらかの緊張を振り払う。ドームなんて、プロデューサーも人が悪い。今更そう思う。
私は人前に出るの、得意じゃなかったのに。控え室の扉が開く音。
「大丈夫か?」
男性の声。その声は、いつもの彼の口ぶりで、優しい声。
「はい」
目を閉じたまま肯定する。声が、少しだけ震えていた。
場数を踏んでも、緊張が無いはずが無い。数万人規模の、一大イベントなのだから。
不意に、頭に何らかの感触を得る。それは、彼の手のひら。
「雪歩なら、大丈夫だ。落ち着いて」
そう言う彼の声はどこまでも柔らかく、頭を撫でられるのは心地よい。
この人は、もう。
目を閉じたまま、その感触を心に刻み付ける。
「はい」
私には、プロデューサーがついてくれている。だから、どんなことでも恐るるに足りない。素直に、そう思えた。
「じゃあ、行ってきます。プロデューサー」
緊張が無いと言えば嘘になる。でも、もう私は大丈夫。
「ああ」
だから彼もわかってくれる。私をいつもみたいに送り出してくれる。
「頑張ってこい」
浮かべてくれる、いつもの笑顔。この笑顔と、この声があるから私は、私は。
「はい!」
私は、頑張ってこれたんだ。

もっと、もっと出来る。もっと頑張れる。もっとやれる。もっと居れる。もっと話せる。もっと歌える。もっと、もっと、もっと。
でもそれは全部私の我がままで、きっと規則は変えられなくて、きっとこの人も望まなくて。
だけど私は、私は。
「だから、プロデューサー・・・」
『だから、もっとアイドルを続けていたい?』
「・・・はい」
そうだ。私はもっと、この仕事を続けていたい。プロデューサーに、導いてほしいんだ。
『さっきさ、社長に言われたよ』
強引な話題の切り替えと、咳払い。
『雪歩君からこの仕事を奪って良いのだろうか、だってさ』
「・・・あまり似ていないです、プロデューサー」
低くなった声は、きっと社長の物まね。うるさいなぁ、なんて笑い声。
『でもさ、雪歩。俺はお別れコンサート、やりたいと思う』
「・・・」
『どうしてだと思う?』
きっとプロデューサーは望まない。そんなこと、わかっていた。わかっていたのに。わかっていた筈なのに。
「・・・わ、私とは、もう、一緒にやりたくない、から・・・」
わかっていた筈なのに、涙が出てくる。否定したかった。そんなこと、絶対にないんだって。
プロデューサーは私を支えてくれる人で、そんな人が、そんなこと、絶対に考えないって。
電話の向こう側から、笑い声がする。

優しげな、大好きな笑い声。

『バカだなぁ、雪歩』
「・・・」
『俺だって雪歩のアイドル活動、ずっと見守っていきたいよ』
      • え?
「だ、だったら・・・」
だったら、ずっと私をプロデュースして下さい、そう思う。
でもそれは、きっと違うんだ。何が?
『雪歩はさ、昔、自分がこんな風になっているなんて想像できたか?』
ほら、と彼が続ける。
『出会ってすぐの雪歩ってさ、話しかけてもびっくりするだけで、目なんて全然合わせてくれなかったし』
「・・・あれは、男の人が怖くて、です」
『昔は何をするにも恥ずかしいとかなんとか、なかなか踏ん切り付かなかったよな』
「・・・ごめんなさい」
声が震えている。ちゃんと謝れたかどうか疑問に思うけれど、必要なのは謝ることなんかじゃなくて。でも、何?
『でも、そんな雪歩がだぞ?今はちゃんと自分で意見できるし、あまつさえアイドルなんて職業をもっと続けたいって言ってるんだろ?』
思い出しなよ、彼の声は真剣なもの。
『雪歩の、アイドルを目指した理由は?』
あ。
「・・・わ、わたし、の」
そうだ。私の、アイドルになった理由は?
「―――臆病な性格を、変えたかった」
シーツを握りしめて、涙がまた落ちた。皺になっちゃうなぁなんて、頭のどこかで考える。でも、そんなことは問題じゃなかった。
『変われていないか?今の、萩原雪歩は』
どう思う、雪歩。その問いに、答えようとする。でも、答えたら。
答えたら全て終わってしまうような気がして。

『アイドルって職業はさ、華やかだけど、自由はあまり無いんだ。スケジュール然り、マスコミ然り』
それは、私も良く知っている。この一年、あまり気の休まる日は無かった。
『それを人生の柱にしてほしくない。折角掴んだ新しい萩原雪歩がさ、そんなところにずっと居るのは可哀想だ』
「・・・」
『もう一度、新しい視点で普通に生活してみないか、雪歩』
「・・・」
『毎日学校に行ってさ、友達と遊びに行ったり、あとは受験して、大学受かって、就職して・・・ああ、そうだな。結婚して』
「・・・」
『そんな普通だって、今の雪歩からしたら可能性の塊みたいなものじゃないか。どうだ』
どうだ、って言われても。すぐにピンと来る話ではない。幸せそうではあるし、楽しそうではある。魅力的ではあるけれど。
でも、でも。
「でも、そこに・・・そこにプロデューサーは、居てくれないじゃないですか・・・」
そうだ、そんな毎日に、プロデューサーは居ないじゃないか。
『何だ?俺が居ないと駄目なのか?』
甘えん坊め、と笑われる。誰のせいだと思ってるんですか。涙が落ちる。シーツには、皺ができる。
『別に俺なんてただのプロデューサーなんだからさ、いつでも呼べば良いじゃないか』
「・・・?」
『携帯だってあるし、いつでも会えるだろ。事務所に遊びに来たっていいじゃないか。もう家みたいなものだろ、あそこは』
それに、ほら、と突然プロデューサーの歯切れが悪くなった。涙をぬぐいながら、言葉を待つ。
『その、なんだ、お前に会えないのは、俺も寂しい』




滅多に言わないような台詞を吐いたおかげで訳のわからない気恥ずかしさに苛まれる。
勘弁してくれよとか思いつつ、でもそれは、確かに本心で。
互いに無言のまま沈黙し、でも電話の向こうからの呼気が漏れた。
「こら、笑うな雪歩」
『だ、だって、プロデューサーが私と同じ事を考えてくれてたのが、嬉しくて』
あの、プロデューサー、と彼女からの問いかけ。息をひとつ吐いて、切り替えた。
『私は、まだわかりません。このままアイドルを続けたいなと思う私と、プロデューサーの言う通り、元の生活を取り戻してみたいと思う私と、どっちが本当の私なのか』
「そうか」
『だから、私は』
私は、と雪歩が反芻して、答えは急かさない。
『・・・私は、プロデューサーを信じます』
「・・・そうか」
『でも、プロデューサー』
しゃくり上げる音。まだ涙は止まらないようだ。泣き虫なのは、変わらなかったな。
『私がアイドルを辞めても、絶対に会って下さいね』
「ああ」
『絶対ですよ、約束ですよ』
「約束する」
『あと、その、あの・・・』
「何だ?」
『お別れコンサートのあと、その―――』


「ねぇ、雪歩さぁ」
「え?」
「何だか、去年より可愛くなったよね」
仲の良い友達との帰り道、そんなコトを言われて少しだけ照れてしまう私が居る。
「そ、そうかな・・・えへへ・・・」
「勿体ないなぁ。もっとアイドル続けてれば絶対トップに・・・って、トップだったか」
こんなどこにでもある風景をくれたのは、紛れもなくあの人で。毎日を心に刻みつけていく。
「あ、もしかしてアレですか?恋をすると女の子は可愛くなるってヤツですか?」
「ぅ、え!?」
「え?嘘、図星?あの雪歩が?」
相手は!どんな人!どこで知り合ったの!そんな質問攻めだってきっと、どこにでもあるんですよね?
メールの着信音。飛びつくように確認すると、たった3文字。自然と顔が綻ぶ。
「・・・『事務所』?何これ、そっけないメールだなぁ」
「うぅ、見ないでよぅ」
ごめんごめん、悪びれる様子もない彼女に、もう、と怒る。でも、顔はやっぱり綻んでしまう。
「良く分からないけど、そんなに良いメールなの?」
「うん!」
少しだけびっくりされて、へぇ、とニヤニヤされる。
「雪歩、変わったなぁ」
「え?そ、そうかな」
「うん、変わった。悪くないよ。昔のオドオドした雪歩も、ちっこくて可愛かったけどさ」
こんな感じで、と昔の私を再現してくれる。びくびくおどおど、懐かしい私。
「やっぱりその『プロデューサー』のおかげなのねぇ」
携帯電話を指さされる。どうやらメールの差出人までバレたらしい。むぅ。
「で、雪歩。喫茶店、寄って行く?」
「ご、ごめん、ちょっと用事が出来ちゃって」
「『事務所』?」
「う、うん・・・」
そっかー、とまたニヤニヤされる。少し恥ずかしいけれど、そんなに悪い気分でもない。
「じゃ、駅に行くのか。ついて行きたいけど、ここでバイバイかな」
邪魔しちゃ悪いですからね、とおどける彼女。
「頑張りなよ、恋する乙女」
「う、うん・・・」
「否定しないんだ」
「ぅ・・・」
言い訳を考え付く前に、じゃあね、と手を振って行ってしまう。仕方ない。明日、また会える。

もう陽の傾く時間で、駅までの距離はそんなに無くて、けれど陽が沈むのはきっと早い。早く会いたくて、走り出した。会いたいのは、誰にだろう。決まってる。
辿り着いた駅前の風景は今も昔も変わらないのに、なのにどうして、こんなにも違うんだろう。決まってる。切符を買って、改札をくぐる。
滑り込んできた電車は、乗り慣れていた銀色。赤のライン。乗り込んで、空いていた席へと腰掛けた。走り出す。外の景色を眺めてみる。
奇麗な夕焼けが眩しくて、それでも目は逸らさない。刻みつけようと思った。本当に綺麗。
使い慣れた駅で降りれば、あとは一直線。数字、見慣れた数列がそこにある。
彼に会える。それはとても嬉しいことで、別れ際の友達の一言を思い出して、顔が熱くなってしまう。
ひとつ、ふたつ、深呼吸。
今日は、学校の事を話そう。沢山の友達の事も、最近流行っているらしいお菓子のことも。
あの人がくれた毎日を、楽しんでいることを伝えよう。
だから私は、事務所につながる階段に足を掛ける。彼の元まで、一気に駆け登って行くんだ。