砂粒

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mioazu

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換気のために開けた窓から入ってくる外気が、微かな春の香りを運んでくる

テーブルの上に置かれた砂時計(唯が100円ショップで買ってきたものだ)からは、白い砂がサラサラと小さな音を立てて流れ落ちている

隣に座った梓に目をやると、細い指を器用に屈伸させ新曲の運指を確認していた

小さな頭越しに見えた壁時計は17時を数分過ぎ、部室に射し込んでくる陽光には橙色が混じり始めている

「そろそろ帰ろっか」

「はい」

返ってきた返事とは裏腹に、梓の指は動き続けている

「先に帰るよ?」

「あ、はい。どうぞ」

素っ気ない返答に何故かムッとした




「お先に」

後も振り返らずに、梓一人を残し部室を出た

人気の少なくなった階段を降りながら、何に対して苛立っているのか自問した

そしてそれに自答できないことが更に私を苛立たせる

橙色が濃くなった空を見上げながら校門を出ると、私を呼び止める声がした

「澪先輩!」

足を止めて首だけで振り向くと、ギターケースを背負った梓が走り寄ってくるのが見えた

私の横で立ち止まり息を整える梓

自分でも驚くほどの冷たい声音で問いかける

「もう帰るの?」

コクリ、と頷いた梓を無視するかのように、一人で歩き出した




うつむいたままで隣を歩く梓と、苛立ったままの私

永遠に続くかのような沈黙を破ったのは梓だった

「あの…澪先輩」

「何?」

相変わらずの私の声音

「えっと…その…ごめんなさい…」

「何が?」

「澪先輩怒ってるみたいだから…」

とびきりの自己嫌悪

梓に気を使わせてしまったことと、それに対して何も言えない自分に

だから言葉の代わりに、梓の小さな手を握った




梓は一瞬だけ戸惑ったような反応を見せたけど、私の手を握り返してきた

手のひらにその体温を感じながら、訳の分からない感情が溢れてくる

梓の小さな手…

いつか、私の知らない誰かのモノになってしまう手…

そしてその人との間にできた子供を優しく撫でてやるための手…

きっとこれは感傷なんだろう

きっと春の香りと空を染める橙色のせいなんだろう

きっとこれは…

恋とは違うものなんだろう




「澪先輩」

川風に髪を揺らしながら、うつむいたままの梓が言葉を紡ぐ

「澪先輩といろんな話がしたいです」

「うん」

「澪先輩といろんな所に行きたいです」

「うん」

「澪先輩が好きです」

「うん…ありがとう」

本当は梓も分かっているハズだ

それは恋とは違うって




とびきり歪で刹那的で感傷的な…

誰かが「青春」と呼んだものの小さな小さな切片なんだって

それでも私たちは…

もう一度空を見上げる

それを真似るように、梓も同じ空を見上げた

二人の砂時計は目には見えなくて、サラサラという音も聞こえない

だけどいつか砂粒が尽きてしまうそのときまでは、この小さな手を握りしめていようと思った

春の香りと橙色に包まれた、いつもの帰り道で


       おわり
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