贖罪。
◇ ◆ ◇
秋山澪ファンクラブのお茶会は盛況のうちに終了し、今は参加者たちがひな壇に並んで記念撮影の真っ最中。もちろんその中心にいるのは我らがアイドル、秋山澪その人である。ズイブンと微笑ましい光景だ。もっとも当の本人の笑顔だけが、どこか引きつっているようにも見えるのは、ただの気のせいだろうか。大学受験も近づいていることだし、今のうちにメガネの度数に問題がないか、眼科で再検査してもらった方がいいかも知れない。
やれやれ。どうしてこう物事を斜に見てしまうだろう。我ながらつくづくイヤになってしまう。ファンクラブ会長であり、何よりお茶会の発案者という立場でありながら、おそらくこの私だけがこのバカ騒ぎを醒めた目で眺めているという現実に。いやむしろ、この後に──。
おっと、もう一人いたわね。この場から浮いている子が。会場の一角で所在なさげに撮影会の様子を見つめている、軽音部でただ一人の2年生、中野梓。
誰にも気づかれないように彼女の傍にそっと近づく。そして撮影会の行われている方向に視線を向けながら、さもひとり言のように呟いてみせた。わずかに自分の表情を曇らせるという演技のおまけつきで。
「この盛り上がり、曽我部先輩にも見せたかったな……」
はたして梓は、わずかに訝しげな態度で私を見た。それから何かを考えるような表情を浮かべる。なんとかして呟きの意味を理解しようとしているようだった。
だがそれも一瞬のこと。そうだ、と彼女が小さく叫ぶなり、スカートのポケットを探り始める。今度は私が梓の行動に注目する番だった。すると彼女は慣れた手つきで自分の携帯をスライドさせながら、撮影会が行われている一角へと向ける。どうやら撮影会の様子をさらに背後から撮影しようとしているらしい。
「そんなの撮って、どうするの?」
「送ってあげるんです、曽我部先輩に」
「送ってあげるんです、曽我部先輩に」
ちらりとこちらを見て、そんなことを言う。内心ドキリとする。まさかこの子、先輩のメールアドレスを知ってるのかしら。
「え……でも、携帯のアドレス……」
「アドレスは生徒会で調べてください」
「アドレスは生徒会で調べてください」
一瞬だけ浮かんだ疑問はすぐに否定された。そうよね、そんなはずない。彼女と曽我部先輩との間には何の接点もなかったはずなのだから。
──ぱしゃ。
私がそんなことを考えている間に、彼女の携帯からカワイらしいシャッター音が響いた。
それにしても、ちょっと話のきっかけにでもと思って、先輩のことを案じてるようなそぶりを見せただけなのに。なるほど唯の噂通りね。取り澄ましたような態度を装ってはいるが、その実かなりのお人よしで、それでいて頭もよく回るタイプ。さすがは澪や憂が想いを寄せるだけのことはある。ただ真面目でカワイイというだけでは、そう簡単に彼女たちの心を捉えることなど、できるはずもないのだ。
迷いに迷っていた私の心が、ようやく定まる。この子なら大丈夫。澪の見込んだこの子なら。
「悪いんだけどその写真、貴女から先輩に送ってくれないかしら」
「でも私、曽我部先輩のアドレス知らないんですけど」
「トクベツに教えてあげるわ。誰にもナイショよ?」
「でも私、曽我部先輩のアドレス知らないんですけど」
「トクベツに教えてあげるわ。誰にもナイショよ?」
自分の携帯を取り出して曽我部先輩のアドレスを表示させ、梓に向けて見せてやる。それを彼女がのぞき込むなり、わずかに眉が寄せられるのが分かった。
「あの、なんですか、これ」
「だから、曽我部先輩のメールのアドレス」
「そう……だったんですか。でもどうして、それをわざわざ私に?」
「どうしてだと思う?」
「だから、曽我部先輩のメールのアドレス」
「そう……だったんですか。でもどうして、それをわざわざ私に?」
「どうしてだと思う?」
私が梓の疑問に質問で返すと、彼女は虚を突かれたように黙り込む。しばらく考えたのちに、ようやく重い口を開いた。
「和先輩と私が、同じような境遇だと教えるため……ですか」
「もう少し具体的に」
「もう少し具体的に」
ゴクリ、と梓の喉が鳴る。ほんの少しだけ迷うような表情を浮かべてから、再び彼女は口を開いた。
「同じように先輩のことを、つまり……女の人を好きになれるということ、ですね?」
「まあそうなるのかな。もっとも私の場合は振られちゃったけど」
「もしかして、あの、それって……」
「まあそうなるのかな。もっとも私の場合は振られちゃったけど」
「もしかして、あの、それって……」
みるみるうちに彼女の顔から血の気が引いていく。
「ああ、勘違いしないで。別に澪のことは関係ないの。先輩に恋愛感情と依存心を取り違えてないかって問われて、私がそれにきちんと答えられなかったから」
「そうだったんですか……でもじゃあ、このアドレスって……?」
「まったくあの人らしいイタズラ。ホント、最後まで振り回されっぱなしだわ」
「そうだったんですか……でもじゃあ、このアドレスって……?」
「まったくあの人らしいイタズラ。ホント、最後まで振り回されっぱなしだわ」
ふと脳裏に先輩の顔が浮かんだ。卒業式の後で、メールアドレス変更したから、とわざわざ教えに来てくれた時の先輩の喜々とした表情が。
「そのワリには、なんか嬉しそうに見えますけど」
「こらっ、先輩をからかうんじゃないの」
「へへ、すいません」
「こらっ、先輩をからかうんじゃないの」
「へへ、すいません」
ペロっと梓が小さく舌を出した。どちらからともなく私たちは小さく笑いあう。事情を知らない他人からは、よからぬことを企む共犯者の笑みに見えることだろう。
もっとも私にとっては、ここからが本当のお楽しみなのだけど。
「ところで梓ちゃんの方は、澪とうまくいってるの?」
「それは、まあ。あくまで先輩と後輩としてですが」
「ちゃんとはっきりさせないとダメよ」
「へ……?」
「それは、まあ。あくまで先輩と後輩としてですが」
「ちゃんとはっきりさせないとダメよ」
「へ……?」
笑顔を消した私に、梓が戸惑ったような表情を浮かべた。だが構わず私は話を進める。
「なんせ澪はああいう性格でしょ。だから貴女が主導権を握らないと、事態を動かすことはできないわ」
「おっしゃることはわかりますけど……でも」
「大丈夫。梓ちゃんが告白さえすれば、必ず澪は受け入れる。なんせあの子は梓ちゃんにベタ惚れだしね」
「ま、まさか、澪先輩がそう言ったんですか!?」
「はっきりと白状したわけじゃないけど、まず間違いないわね。たとえば──」
「おっしゃることはわかりますけど……でも」
「大丈夫。梓ちゃんが告白さえすれば、必ず澪は受け入れる。なんせあの子は梓ちゃんにベタ惚れだしね」
「ま、まさか、澪先輩がそう言ったんですか!?」
「はっきりと白状したわけじゃないけど、まず間違いないわね。たとえば──」
新学期の直後に交わした澪とのやり取りを、私は梓に話して聞かせた。
──この学校の校庭の大きな桜の木の下で告白すると、必ず想いが通じるんだって。
──確かここは女子高のはずだけど。
──ひょっとしたら澪のお相手の子なんかも、意外にそういうこと考えてるかもよ。
──どうかなあ、梓はああ見えても…………あ。
──確かここは女子高のはずだけど。
──ひょっとしたら澪のお相手の子なんかも、意外にそういうこと考えてるかもよ。
──どうかなあ、梓はああ見えても…………あ。
「そのあと真っ赤になって否定してたけどね。それこそ貴女に見せてあげたかったわ」
「そんな、ことが……」
「そんな、ことが……」
みるみるうちに梓の顔が朱に染まっていく。いいわね、こういう反応。初々しくて。こんな後輩なら、ちょっとだけ私も欲しいかも。
なんて、ね。バカげた感傷はそこまでだ。そんな余裕も資格も、私にはない。
「特に今日なんかチャンスよ。初めての共同作業も無事にやり終えたことだし」
「でもあれは唯先輩が勝手に……って、まさかあれも和先輩が!?」
「さあ、どうかしらね。とにかく助言はしたわよ。後は貴女たち次第」
「でもあれは唯先輩が勝手に……って、まさかあれも和先輩が!?」
「さあ、どうかしらね。とにかく助言はしたわよ。後は貴女たち次第」
恥ずかしそうにうつむきながら、それでも梓は小さく「はい」と頷いた。同時に小さいが確実に、彼女の瞳に決意の炎が宿る。
あまりにもまっすぐな彼女の態度に、ひどく胸が痛んだ。
それを無理やり振り切るために、改めて自分の携帯に表示されている、曽我部先輩のメールアドレスに目を向ける。最後の最後までもて遊ばれっぱなしだったですけど、意外なところで役に立ちそうですよ、曽我部先輩の最後の悪戯。いえ、曽我部先輩の最後の勝利が。
決して忘れようにも忘れられない。こんなアドレスに設定されてしまっては、目にするたびに嫌でも思い出してしまう。あのバレンタインデーの日に交わした約束を。私の卒業式の日に、もう一度自分たちの気持ちを確認しようという先輩との誓約を。
ひょっとして梓の先輩を想う立場に、自分の姿を重ねてしまったのだろうか。
憂の気持ちを知りながら、それでも梓の後押しをしてしまうのは。
憂の気持ちを知りながら、それでも梓の後押しをしてしまうのは。
いやおそらく、澪に赦して欲しかったのだろう。
今回のお茶会を最後に、私はファンクラブの組織改編を秘かに実行するつもりだった。より正確には変質というべきか。澪を応援するという本来の目的はそのままに、単なるファン活動だけでなく、より実務的な組織へ。
もし軽音部の活動に支障をきたすような動きがあれば、ただちにその兆候を掴めるシステム。それには各クラスや学年、さらには主要な部活や各種委員会にまでメンバーが浸透している、このファンクラブは最適だった。彼女たちファンの善意を最大限に利用し、理事会サイドの部活再編計画の動向を監視する。それが私の真の目的だ。
このお茶会は単なる始まりにすぎない。せっかく先輩から引き継がされたこの遺産。澪を、いや軽音部を守るために、存分に活用させてもらおう。私の手駒として。もし自分に好意を寄せてくれるファンたちを、そんな形で利用するつもりだと彼女が知れば、それこそ烈火のごとく怒り狂うに違いない。
贖罪という名の自己満足。
あんな煽りめいたことを梓に言ってしまったのは、どこか後ろめたさがあったのかもしれない。まあ、今となってはどうでもいいことだ。さすがに彼女たちに直接どうこう指図するわけにもいかないしね。せいぜい私にできるのは、ふたりの場所を守ることくらい。
私は孤高の存在。醜の御盾を司るもの。
澪、梓、さらには憂。
曽我部先輩が寄せてくれる信頼。
何よりも唯の笑顔と居場所を守るために。
曽我部先輩が寄せてくれる信頼。
何よりも唯の笑顔と居場所を守るために。
来たるべきその日まで、私は文字通り死に物狂いで戦い続ける。
前副会長という手駒を失ったとはいえ、依然として敵は強大であり、かつ恐ろしいほどに狡猾だ。それに対し我々は無力な女子高生の烏合の衆。次はどのような攻撃を仕掛けてくるかもわからないのだ。可能な限りの手段を用い対抗しなければ、あっという間に足をすくわれることになるだろう。
万が一の先輩の翻意の可能性をゼロにしないためにも。
たとえどれほど不可能に思えることだとしても。
それを信じて立ち向かうしかない。
たとえどれほど不可能に思えることだとしても。
それを信じて立ち向かうしかない。
ローマ字読みすれば誰にでも一目瞭然な、曽我部先輩のメールアドレスを見るたびに、私はその決意を新たにせざるを得ないのだ。
──マナベサン ノ スキナヒト
ひな壇で満面の笑顔を浮かべるファンクラブの一同を見つめながら、私は秘かに彼女たちに対して誓った。
もう赦しは請わないわ。
だけど。
だけど。
後悔だけは、決してさせないから──。
(おしまい)