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貨幣の役割は、商品経済における潤滑油である。
交換の便宜を図るだけでなく、蓄財において、また大規模生産を可能にする資本の形成において、有用である。

貨幣が貴金属に結びついていた時代には、貴金属の生産量が社会全体の経済発展の大きな制約となっていた。
さまざまな地域で商品生産が盛んになっても、貨幣が不足すると交換することができない。
結果、商品生産自体が縮小していってしまう。
ローマ帝国や漢帝国の衰亡理由を金のインドへの流出に求める議論がある。
逆に、新大陸の銀の流入により、ヨーロッパ経済が活性化され、資本主義発展につながった例もある。

近代において紙幣が発行されるようになるとこの制約は緩和されたが、金本位制においては紙幣は一種の債券証書であり、最終的に貴金属の制約から自由になったわけではなかった。
制約が間接的になり、いろんな便宜を利かせやすくなっただけのことである。
流通する紙幣には現物としての金の裏付けが必要で、それゆえに経済活動が活発になると、マネーサプライ不足が深刻な問題となる。

金本位制から管理通貨制度への移行は、貨幣の存立根拠を根底からひっくり返す革命的出来事だった。
貨幣の信用担保は、貴金属としての価値から、政府保証に移った。
これにより、経済活動が必要とするだけの貨幣供給を行うことが可能となった。
貨幣供給過剰はインフレにつながり、供給不足は不況につながる。
この調整が中央政府の大きな責務となった。
経済活動はかつてない規模で活発化し、世界を覆い尽くしていくこととなった。

そして、現在である。
ふと気がつくと、世界的な貨幣供給過剰状況が訪れてしまっている。
「資本過剰」時代の到来である。
経済活動の潤滑油として必要な額を遙かに上回る、マネーの奔流が世界を駆け巡る。
資本を生産活動に投入しても、適正利潤を回収するのが困難になっている。
言い換えるなら、資本が資本の体をなさなくなってきている。
行き場のなくしたマネーは投機に走り、暴走したあげく共倒れで自滅を繰り返す。
これが、リーマン・ショック後に明らかになった現在の真実である。

なぜ、このような「資本過剰」が発生したのか?
原因ははっきりしている。
管理通貨制度の下で、貨幣を発行しすぎたのだ。
野放図に発行しすぎたマネーが、まわりまわって投機マネーとして滞留している。
論理的にこれ以外の解はない。

では、なぜこのように貨幣を発行しすぎたのか?
おそらく、管理通貨制度になって、打ち出の小槌のように貨幣を発行していけるのが楽しくて、はしゃぎすぎたのだろう。
あるいは変動為替相場制に移行して40年、文明として初の体験がやっと限界点に達したのだろう。
痛い思いをしないとわからない、これを教訓に経験値を積んでいくということだ。
壮大な一種のバブルと考えた方がよい。

経済学者の誤りを指摘するなら、以下のごとくなろうか。
マネーサプライは、伝統的に経済活動の主要な制約条件であった。
ゆえに、当初はマネーサプライを変更することで、経済活動に強い刺激を与えることが可能だった。
金融緩和により経済は過熱しインフレが起き、引き締めにより経済はブレーキを踏まれ不況に至った。
しかし、管理通貨制度の下で年数を経るに従い、マネーサプライは経済活動の主要な制約条件ではなくなってしまった。
なのに、別の制約条件を探そうとしないで、マネーサプライの調整に頼りすぎた。
経済を上向かせようと金融緩和に走るほど、マネーサプライは制約条件であることをやめ、効力をなくしていった。
なのに、経済学者はその現実を認めない。
どんどん効果がなくなる政策に固執し続け、さらに規模の拡張を主張する。

では、現在の主要な経済活動の制約条件とは、いったいなんだろうか。
それは、経済至上主義、消費至上主義のアンチたる、人間尊重を必要とする何かだろう。
これに触れるのは、経済学者(と経済官僚)にとってタブーになっていることは、想像に難くない。
抜本的解決策が早晩生まれる見込みはまずあるまい。

当面「過剰資本」の暴虐と迷走は続くだろう。
それを解消しないでは、経済社会の健全化は期待し得ないであろう。
今後数十年の人類的課題は、「過剰資本」をいかにソフトランディングさせるかということに尽きるだろう。




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