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hSS5「あのなあ、いい加減にしないと怒るぞ」

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yuiritsu

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「あのなあ、いい加減にしないと怒るぞ」
「……りっちゃん、もう怒ってるじゃん」
「怒ってない。唯がさっきから突っかかってくるから、理由訊いてるんだろ」
「私、突っかかってなんかないよ」
 口を尖らせる私を見て、りっちゃんが小さくため息をついた。
 ため息の中に、ほんの少しの苛立ちが見える。心がちくりと痛い。
 いつもならやれやれって言って、それでも優しい顔で頭を撫でてくれるのにね。
 今の私たちの距離は、お互いの手が届かないくらいに遠い。

「…………」
 りっちゃんのばか。口にしようとして止めた。声を出す気にもならなかった。
「唯、いいから機嫌直せって」
「…………」
「……はあ、もういいや」
 子供のように不貞腐れた私の態度に、りっちゃんがそう呟く。
 かちゃりと鳴った小さな音は、りっちゃんが家の鍵を手にした音だ。
 りっちゃんはそのまま床に置いてあったリュックを拾い上げると、玄関へと向かっていく。
 りっちゃん、どこ行くの。背中に向かってそう言えたら、良かったのに。
 ばたん。重たい玄関が閉まる音。
 私とりっちゃんの間にも、重たいドアが出来たような音。



 それは、些細な嫉妬だった。
 大学生になって、家を出て、りっちゃんとここで暮らすようになって数か月。
 私とりっちゃんは同じ大学で、けれど学部は違うし、アルバイト先だって違うし、
 友達付き合いだってそれぞれ違って、私は大学でのりっちゃんをあまり知らない。
 それでも家に帰ればりっちゃんがいて、優しく笑ってくれて、私に触れてくれて、不安も心配もなかった。
 なかった、はずなのに。幸せな暮らしは、いつのまにか私をどんどん欲張りにさせていたらしい。

「だって……なんか、やだったんだもん」
 誰もいなくなった部屋。
 ふたりで暮らすには少しだけ狭い部屋は、家賃の割にはそこそこ奇麗で、居心地が良かった。
 それなのに今は、優しいクリーム色の壁が酷く冷たく見える。
「こんなの初めてで……どうしたらいいのか、分かんないだもん」
 たまたまりっちゃんの通う学部のある建物に行って、そして見かけた大好きな人の姿。
 同じ学部の子だと思う。可愛らしい子と並んで歩いていて、優しげな笑みを浮かべていた。
 私だけにしか見せてくれないと思っていたその笑顔は、他の子にも平等に向けられていたことを知って、
 私の知らない時間を過ごすりっちゃんを、そのとき初めてちゃんと目にした気がした。
 やだなって。私はそう思ったんだよ。

 もちろんそんなことをりっちゃんに言えるはずがなかった。
 けれど心に残る違和感を上手く片付けることが出来なくて、
 バイトから帰ってきたりっちゃんに、なんだか、すごくすごく嫌な態度を取ってしまって。
 ……いま振り返ってみたら自己嫌悪でどうかなりそうなくらいに。
 最初は「どうしたんだ?」となだめてくれたりっちゃんだったけれど、
 いつまで経ってもへそを曲げている私にしびれを切らして……そして、この有様だ。
「…………」
 ちらりと玄関を見やる。
 りっちゃん、何も言わずに行っちゃったね。
 いつもなら、コンビニに行くだけでも「コンビニ行くけど唯も行く?」って訊いてくれるのに。 

「……メール」
 ごめんなさい、だから帰ってきてください。そう送ろうとして、なんだか怖くなって手を止めた。
 つけっぱなしだったテレビが午後六時を告げる。お笑い芸人の笑い声が耳にうるさくて、私はテレビの電源を落とした。
 この部屋は、私ひとりには広すぎる。
「りっちゃん……」
 薄暗い部屋の中で私は目を閉じた。思い出すのは、あの日のこと。


「……いや、なんか、なんていうか」
「ふふふ、りっちゃん緊張してる~ぷにぷに」
「こら、ほっぺつつくなって!」
 玄関で立ちつくすふたり。見渡すのは、ふたりで揃えた家具がようやく並んだ部屋。
 引っ越し前に何度も足を運んだはずなのに、今更ながらに実感が湧いてくる。
「ここ、私たちの家なんだね」
「だな」
 ぽいぽいとスニーカーを脱ぎ捨てたりっちゃんは、部屋をくるりと一周して、ベッドに腰を下ろす。
 部屋には、大きなベッドがひとつ。
 りっちゃんがベッドは絶対大きい方が良いっていうから、ふたりでお金を半分こして買ったんだ。
 でも私たちがふたりで寝るときは、いつも私がりっちゃんにぺっとりとくっついているから、
 あまり広くても無駄になっちゃうような気もするけど……って家具屋さんで言ったら、
 りっちゃんは顔を真っ赤にして私の口を慌てて押さえてたっけ。

「なんか、わくわくするね」
 りっちゃんの隣に腰を下ろした。
 ベッドがわずかに軋んで、りっちゃんと私の肩が触れた。それだけでドキドキする。
「……唯、顔近いって」
「りっちゃん、ほっぺ赤いよ?」
「うるせー」
「ふふ」
 ちゅっとほっぺに軽く触れると、りっちゃんのほっぺがさらに真っ赤に染まる。
 ああ、可愛いなあって思う。これからはこの家で、りっちゃんともっとずっと一緒にいられるんだ。
 そう思うと、なんか、こう、お腹の奥からうわーって何かがこみ上げてくる。
 わくわく、どきどき、そんな感じの何かが。

「ね、りっちゃん」
「……だめ」
「まだ何も言ってないよ」
「こんな真昼間から何考えてんだ」
「えー」
「お腹減ったし、まずはご飯食べよう」
「りっちゃん作ってくれるの!?」
「おー。何でも作ってやるぞ。なに食べたい?」
「あのね、ハンバーグ! ハンバーグがいい! あとりっちゃん!」
「どさくさに紛れて何言ってんだ!」
 ぺいっとデコピンをしたりっちゃんは、ご飯食べてからな、と照れたように言った。


 気が付けば、部屋は真っ暗になっていた。 
 目を開けて体を動かそうとしたら、背中に痺れのような痛みが走る。
「う……あいったた……」
 ベッドに上半身を突っ伏して、そのまま眠ってしまったらしい。
 無理な姿勢が祟って体のあちこちが痛い。
「いたたぁ……いま……何時……」
 手探りで携帯を探して、ぱかりと開く。そして私は絶句した。
「十二時……」
 唯はよく寝るなあ、なんてりっちゃんに笑われたことはあったけど、さすがにこれは寝すぎだよ私……。
 と、そこまで考えて私は気が付いた。

「うわ、かさかさだ」
 自分のほっぺは、涙が乾いてかさかさになっている。
 顔を動かすたびに違和感があって、気持ちが悪い。
「……私、泣いてたんだ」
 涙の理由は考えるまでもない。
 だって、部屋が、広くて。部屋が、静かで。
 それに、この部屋での幸せが始まった日を思い出して。
 ぽろりと、乾いた涙の跡の上に、もう一度涙がこぼれた。
 りっちゃん、帰ってきてないんだ。メールも電話も来てない。
 胸の奥が冷えた。

 りっちゃんと喧嘩をしたのなんて、これが初めてで、りっちゃんがあんな風に怒った姿を見るのも初めてで、
 りっちゃんが何も言わずに家を出て行ってしまったのも初めてで。
「もう……帰ってこないのかな」
 ここからお互いの実家はそこまで遠くもなくて、帰ろうと思えばすぐに帰ることが出来る。
 もしかしたらりっちゃんはあのまま家に戻ってしまって、もうこっちには帰って来ないかもしれない。

「そんなの……やだあ」
 ご飯、食べたい。りっちゃんのご飯が食べたいよ。
 一緒にこのテーブルを囲んで、テレビ見て、笑って、ときどきちゅーってして、それからまた笑って。
 優しく頭を撫でて欲しい。手を繋ぎたい。抱きつきたい。
「う……うぅ……りっちゃん…………っく」
 真っ暗な部屋の中で、私の泣きべそだけが響く。
 りっちゃん、りっちゃん、帰ってきて。
 心の中で強く強く願ったそのとき。
 がちゃりと、音がした。


「……うお、暗っ!? おーい、唯、いないの?」
 ごそごそと靴を脱ぐ音がして、やがてぱちりと電気が点いた。
「どわっ!?」
 ぼさぼさの髪の毛、涙でくちゃくちゃの顔。
 そんな私と目が合ったりっちゃんはびくりと体を震わせて、持っていたコンビニ袋を落っことす。
 ころころとコンビニのプリンがふたつ転がって、りっちゃんはそれを慌てて拾い上げた。
 右手にプリンを持ったりっちゃんは、そのままじっと私の顔を見ると、
「酷い顔だ」
「だって」
「……ずっと泣いてたのか?」
「りっちゃんが、もう帰ってこないかもって思って」
 ずびびと鼻を鳴らしながら言うと、りっちゃんが苦笑する。

「おーい、カレンダー見た?」
「え?」
 ちょいちょいと指を差された先を見る。そこにあったのは壁掛けのカレンダー。
 一瞬りっちゃんが何を言いたいのか理解できなくて、けれどすぐに今日の日付の欄が視界に入って、私は目を丸くした。

『ゼミの親睦会。遅くなるぞ! 律』

「そういえば……そんなこと、言ってたような」
「忘れてたのかよ」
「うん……」
 りっちゃんが遅くなった理由を思い出して、ほっとする。
 そうか、私に呆れて家を出ていっちゃったわけじゃ、なかったんだ。
「で、でも、いつもなら出かける前にちゃんと言ってくれるのに」
 私がそう言うと、りっちゃんは少しだけバツが悪そうに目を逸らして、
「それは……まあ、あたしもちょっと怒ってたから。だって唯が変な態度ばっか取るから」
 そのままりっちゃんは私の隣に腰を下ろすと、右手でそっと私の涙をぬぐった。
「けど、ちゃんと帰ってくるに決まってるだろ。ここはあたしの家なんだから」
「りっちゃん……」
「……家を出てから、ずっと唯のこと考えてたんだ。唯が理由もなくあんな態度取るわけないし、あたしに何か原因があったんだろうなって」
「違うよ、あれは私が勝手に拗ねてただけで」
 りっちゃんは悪くないよ。そう言おうとしたところを遮られた。

「でも、理由があるんだろ? ……言って欲しいな。じゃなきゃ謝れないし」
「…………」
「言ってくれなきゃ、りっちゃん泣いちゃいますわよ」
「……ふふっ」
 私が笑うと、りっちゃんも笑ってくれて、ようやく私は顔を上げることが出来た。
 ……全部話そう。それで呆れられても、面倒くさいって思われても、しょうがない。
 今はちゃんとりっちゃんに自分の気持ちを話すことが一番大事だって思うから。
「……あのね、りっちゃん」
 うん、とりっちゃんが頷いて、そして私は話し出した。


 全てを話し終えた後、りっちゃんは何やら考えこんでいたようだったけれど、
「あのさ」
「う、うん」
「唯って、あたしのことすっごい好きなんだな!」
 そんなこと言ってのけた。
 ……りっちゃん、それはさすがにデリカシーってものがね、ないんじゃないかってね、思うわけで。
 しかも大正解なんだから余計に性質が悪い。
 でもどうせもうバレバレなんだから、ここはもう開き直ってしまおう。
「そうだよ、私、りっちゃんのこと、すっごい大好きなんだよ」
「う、そ、そうか」
 顔が赤いよ、りっちゃん。相変わらずストレートに言われるのに弱いんだね。
 そういうところ、可愛くて好きだよ。……って言ったら、また照れちゃうんだろうけど。

「……でも、なんていうか、唯がそういう風に妬いてくれるなんて意外だ」
「そう、かな」
「唯はそういうのには無縁だと思ってた」
「そんなこと」
 でも、正直言うと、自分でも驚いたんだよ。
 こんな風に誰かを独り占めしたいなんて、今まで思ったことなかったし、
 どれだけ一緒にいても足らないなんて思うことだって、生まれて初めてで。
 でもね、それは全部ぜんぶ、りっちゃんがりっちゃんだからなんだよ、きっと。

「嫌いになった?」
「……さあね」
 悪戯っぽい笑みがふいに近づいてきたかと思うと、そのまま唇を奪われた。
 そっと触れて、下唇を軽く吸われて、りっちゃんの舌先が私の口を優しく開かせる。
 もうそれだけで私の頭はとろとろに溶けて、りっちゃんしか見えなくなる。
 りっちゃんのいる部屋。うん、やっぱりこれがしっくりくる。
 だってここはふたりの部屋、だから。

 と、そのとき、口元からこぼれる水音に混じって、私のお腹がぐうううと盛大な音をたてた。
 りっちゃんの目がぱちりと開いて、私を見る。
「……お腹、減ってんの?」
「うう……晩ご飯、食べてないから」
「冷蔵庫にハンバーグ作ってあるけど……先にご飯食べる?」
「ご飯は……後でいいや」
 私が答えると、りっちゃんは「そっか」と頷き、
「先にご飯食べるって言ったら、デコピンしてやるとこだった」
 そう言って照れたように笑った。その顔に胸がきゅっと鳴る。
 ああ、愛しいって、こういう時に使う言葉なんだ。
「あのね、りっちゃん」
「ん?」
 ――私にしか見せてくれないりっちゃんの顔、たくさん見たいな。
 りっちゃんの耳元でそう囁くと、りっちゃんは顔を真っ赤にして、
「……ばーか!」
「あうっ」
 容赦ないデコピンをお見舞いしてくれた。
 どっちに転んでもデコピンされるなんて酷い話だと思う。

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