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小春日和というのは確か、
秋か冬の頃に春のような暖かい日という意味だっけ。
それなら今日は、普通に花見日和ってことでいいか。

隣を歩く澪に言ったら溜息を吐かれそうなことを考えながら、
川縁いっぱいに咲いた桜並木を見上げて歩く。

「おい、律」

ぐいと二の腕を引かれて視線を下げると、
目の前には私同様に桜を見上げたカップルが迫っていた。

「っと、」

慌てて身を引いてやり過ごす。相手方はそれに気付く様子もなく、
はらりはらりと落ちてくる花びらに手を伸ばしながら通り過ぎて行った。



「ちゃんと前見ないと危ないぞ」

「ゴメン、さんきゅ」

澪は呆れ顔で少し眉を上げると、
私の腕から手を離して再びフィルムカメラを掲げた。
レンズを向けた先には、私が見上げていた満開の桜。

「綺麗だなあ」

「うん」

「あと何日くらい保つのかな」

「うん」

「……桜餅、食べたいなあ」

「んー、」



澪はファインダーを覗いたまま、私の言葉に適当な相槌を打つ。
チャッ、と、トイカメラらしい軽いシャッター音が鳴った。

レリーズの間に息を止めていたのか、
澪はカメラを下ろして、ふぅ、と息を吐く。

「上手く撮れてるといいな」

「結構撮るの難しいんだよ、桜って」

「そうなの?」

「うん。特にこのソメイヨシノって、とても淡い色だから」



そう言って澪が指差した先を目で追う。
なるほど、ゆるい風に揺れる花びらは、午後の陽気に白く光っていた。
桜色と言われてぱっと思い浮かぶ色とはずいぶん違う。

「桜ってこんなに白かったっけ」

「今みたいに光が強い時間帯だと、余計にね」

「ふぅん」

曇ってたり早朝とか夕方の光だとまた印象が違うよ、と澪が言葉を続けた。

白い花びらが1枚舞い落ちてきて、澪の黒髪にふわりと着地する。
気付くことなく再びファインダーを覗いて構図を探している彼女の横顔を、
私はぼんやりと眺める。



唐突に、腹の虫がぐるりと鳴いた。
澪ーお腹へったぞー、と、わざと甘えた声を出して澪の背中をつつく。

澪は一旦視線を私に向けてから自身の腹をさすり、
私もお腹空いたかも、と、ちょっと困ったように笑った。

「確かあっちに出店あったよな」

「タコ焼き売ってるかな」

「歯に青のり付いてても教えてやらないぞ?」

「澪の歯に付いてたら、記念に写真撮ってやるよ」

肘で小突き合いながら、川縁の道から少し外れた広場を目指す。



平日の昼下がりにも関わらず、
ソメイヨシノに囲まれた広場は花見客でにぎわっていた。

まるで駐車場のようにベビーカーを並べた主婦の集団や、
ワイシャツに緩めたネクタイ姿で談笑する会社員らしき団体。
広場の入り口近くには、花見客目当ての出店がちらほらと見える。

「お、タコ焼きあるぞ」

「ほんとだ。あーでも、クレープも捨てがたい」

「澪しゃん、カロリー気にしなくていいんですかー?」

「うるさいっ」

顔を覗き込んで笑ってやろうとしたら、額をぴしゃりとはたかれた。
カウンターパンチのようになって、あ痛っと声が出る。



「あれ? いい音したと思ったら、あんたたち」

「え? あっ」

声の方向に振り返ったら、缶ビールを片手に掲げた金髪ベリーショート。
カタカナの名前は浮かんだけれど、咄嗟のことで本名が出てこない。

「えっと、」

「紀美さん、こんにちは」

澪がすんなりと名を呼んだ。ああそうだ、紀美さん。
ど忘れしていたことを悟られないように、笑顔を作って会釈する。



「クリスティーナ、って呼んでくれてもよかったのよ?」

……お見通しでした。ニヤリと笑われ、苦笑いを返す。

「でも偶然ね。ふたりも花見?」

「はい。学校帰りのついでに、ですけど」

「ああそっか、ふたりとも大学生だ。おめでとう」

アルコールのせいか少し赤い顔をした紀美さんに、
澪と声を揃えて、ありがとうございますと応えた。

「よし、入学祝いにお姉さんが何かおごってあげよう」

返事を待たずに歩き出した紀美さんのあとを慌てて追いかける。



遠慮しないでね、という言葉に甘えて、私はお茶とタコ焼きを、
澪はバナナクレープと紅茶のペットボトルを買ってもらった。

広場の隅の、桜の枝が届かないベンチに私を真ん中に並んで腰掛けて、
2本のペットボトルと新しい缶ビールをべこんと鳴らして乾杯する。

「いただきます」

「はいどうぞ」

「あの、紀美さん、ここで飲んでていいんですか?」

「会社の花見なんて退屈なだけよ」

昼間っから飲めるのはありがたいけどね、と
紀美さんはいたずらっぽく笑って缶ビールをあおった。



「他の子達も元気にしてる?」

「はい、相変わらずです」

「えっと、りっちゃんと澪ちゃんだっけ」

「あ、はい」

りっちゃんと呼ばれたことにちょっと戸惑ったら、
さわ子がそう呼んでたから許してね、と紀美さんがウインクしてみせた。

「軽音部でやってたバンドはこれからも続けるの?」

「はい。一人はまだ高校生ですけど、その子も一緒に」

「そう」



いいわねと紀美さんは微笑んで、手元で揺らす缶ビールに視線を移した。
その横顔が少し寂しそうに見えた気がして、
反射的に視線を逸らしてタコ焼きをひとつ口に放り込む。

「私たちは、卒業してから自然消滅しちゃったから」

「そうなんですか」

「何回かは集まったけど、進路がばらばらだったからね」

「……」

「まあ、今も付き合いは続いてるからいいんだけど」

去年の再結成も楽しかったし、と笑いかけてきた紀美さんに
上手い返事が浮かばず、私はぎこちなく相槌を打った。



「去年のステージ、格好良かったです」

少し興奮気味にそう言った澪に、私と紀美さんが顔を向ける。

「こんなすごい人たちが軽音部の先輩なんだって思ったら、」

すごくどきどきしました、と紀美さんに向けた澪の目は
尊敬の色に満ちていた。
そう?ありがと、と紀美さんが軽く口角を上げる。


澪の言う通り、あのステージは衝撃だった。
今でも思い出したら鳥肌が立つくらいに。

ステージのソデで澪と並んで立って、
マイクに喰らいつくように唄うさわちゃんの背中を見ながら
この人たちに追いつきたいと思った。

気恥ずかしくて、とても本人にそんなこと言えやしないけど。



「……あの、それで、別のバンドを組んだりはしなかったんですか?」

おずおずと澪が質問をする。

「んー、大学の時にいちど組んでみたけど、続かなかったねぇ」

「何かが合わなかった、とかですか?」

「合わなかったっていうより、軽音部が楽し過ぎたのね、きっと」

「……」

「過去形になると余計に実感するのよね。幸せな時間だったって」



そうですね、と少しトーンダウンした澪に、
あんたたちは懐かしむにはまだ早いでしょ、と紀美さんが笑う。

「バンド、続けるんでしょ?」

「……はい、まあ」

「じゃあいいじゃない。これからもっと楽しくやっていけば」

紀美さんのあっけらかんとした笑顔につられるように、
澪は顔を上げて、はい、と小さく微笑んだ。





…………


どこに隠し持っていたのか2本目の缶ビールを開けた紀美さんは
先程よりも饒舌になって、軽音部時代の話を聞かせてくれた。

その多くがさわちゃん絡みのエピソードで、
本人が聞いたら烈火の如く怒りそうだなと思いながら
私も澪も涙が出るほど笑った。

タコ焼きとクレープはとっくに私たちの胃の中に納まり、
ベビーカーの集団はいつの間にか広場からいなくなっていた。



つんと右の袖口を引かれ、澪を見る。
ごめんちょっとトイレ、と澪が声をひそめて私に告げた。

「ん、いってら」

澪は紀美さんにスミマセンと軽く会釈をして、
広場の反対側にある公衆トイレに小走りで向かった。
小さくなっていく澪の後ろ姿を何の気なしに見送る。

視線を感じて首を左に捻ると、少し笑った紀美さんと目が合った。
何ですか?と訊いたものの、紀美さんは何も言わずに微笑んだだけだった。



「結構長いこと話しちゃったね」

「大丈夫だったんですか?会社のほう」

「どうせみんな酔っぱらってるから、気にしちゃいないって」

紀美さんはビールを一口飲んで、ふぅ、と息を吐いた。
形良く組んだ足先に引っ掛けたパンプスを、ゆらゆらと揺らす。

「あ、タコ焼きとクレープごちそうさまでした」

「どういたしまして。私も楽しかった、思い出話も出来たし」

「さわちゃんの武勇伝、聞き応えありました」

「私が話したってこと、さわ子には内緒よ?」

「わかってます」

互いに視線を合わせて、にやりと笑う。
それから、ひと呼吸分の間。


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